先日一人の女性スタッフが訪ねてきました。
私の顔を見るなり涙ぐみ、それでも一生懸命笑おうとしています。
どうした?なんかあったかい?
・・・聞けば、
子供が小さいうちは急に熱を出したり、子供だけで留守番させるわけにいかなかったりでけっこうわがままを聞いていただき、
大きくなってきたらきたで、今度はクラブ活動や大会などが増え、その送迎があったりして。
これからほとんど週末は子供達のクラブ活動や大会が入ってきます。今年は最上級生だし今まですごく頑張ってきたから私としても可能な限り応援してやりたい。
でもサービス業なんで、
毎週末休みたいなんてわがまま、私だけ言えないです。だから、
「だから・・・これまで長い間本当によくしていただいてきたのに、更にこれ以上ご迷惑かけるわけにはいかないので・・・もう辞めさせていただくしかないと・・・そう考えました。すみません!」
そう涙をこぼすんです。
なんてことを~。一人考えて考えてここへ来たんだね。苦しかったわね・・・
私、思うんです。
自分を取り巻く「環境」って、時間の流れに伴ってどんどん変化していくものじゃない?
子供が幼いときは手もかかる、急に体調崩すこともある、
「今日お休みさせてもらえませんでしょうか?」そう会社へ電話をするとき
「みんなに迷惑ばかりかけて」「私が働くなんてやっぱり無理なんじゃないか」
そう、どんなママでも自分を責めたり落ち込んだこと、ありますよね?なんとなく会社に居づらい気持ちになったこと、ありますよね?
子供の行事なのにお休みがもらえなくて「ごめんね、今回はお母さん行けないわ」と子供に謝ったこと、ありますよね?心が張り裂けそうになりますよね?
私も何度もありました。
当時は日中働けるママ達しか従業員はおらず朝夜は夫婦だけで走り回ってましたから
みんなが素敵なお弁当作りに励む時間、私はベルグの朝食を旦那様と二人で切り盛りするのに必死で、
みんなのように手の込んだキャラ弁なんか作る余裕はまったくなく・・・
悪気がないのは重々承知ですが、園からいただく写真に、色鮮やかなキャラ弁のお友達と並んでいたってフツーのお弁当の玉子焼きをつまんでうれしそうに微笑む娘の顔を見ると、申し訳なくて、情けなくて、
私、こんな母親になるつもりじゃなかったのに、
こんな奥さんになるつもりじゃなかったのに、
こんな暮らしをするつもりじゃなかったのに、って、
何度厨房で一人泣いたかしれません(;つД`)
今となっては懐かしい想い出ですがね♪
だからうちのママさんスタッフには、希望休はなんとしても通してやろう!って工夫します。
ママさん達にも「それを当たり前と思うことなく普段から他のスタッフを積極的に助けてね」と“お互い様関係”を自ら作る努力を促しています。
子供が大きくなってくれば、おのずと手はかからなくなる。
でも、お金はかかるようになる。
子供は益々わかりづらくなるから幼い頃よりも本当はもっとよく見てないと、見過ごしたり、見えなくなることもある。
心配事の質も、親として求められることも大きく変わってくる。
そうやって、時間の流れに伴って「環境」というものはどんどん変化していくものだと思うんです。
だから、環境の変化に合わせて働き方も変わっていって当たり前だと
そう私は思うんですよ。
それになんといっても!
母親が子供たちのそばに寄り添ってあげられる時間って、本当に短いと思いません?
私だって高校を卒業し進学と同時に家を出て結局そのまま。18歳までは両親・妹達と暮らしましたがその後はもうずっと「里帰り」ばかりです。
姉妹は皆それぞれに家庭をもち、もう私たち親子だけで暮らすことは二度とないわけです。
今思えば「短かったなぁ、、、」と。
ましてや小谷村のようなこんな田舎では、家から通学できる高校の数自体が少ない。
早ければ15歳で家を出て下宿や寮生活をしながら高校に通う子供たちも少なくない。
家族全員が当たり前に我が家にいて、元気に学校に通い、自分がやりたいってことを見つけて必死に頑張ってるのを応援する時間って、
ほんとに限られてるじゃない・・・
親としてはその貴重な時間、精一杯子供に寄り添ってやりたいと思うのは
当然の感情だと私は思うんです。
でも仕事は仕事。わがままは言っちゃいけない・・・だから
・・・もう辞めるしかない
ではなくて!
「子供にちゃんと寄り添ってやりながら仕事を続けていくには、どうしたらできるだろうか、って
そう一緒に考えようよ!ね!」
私はそう彼女に言いました(^^)
待機児童の問題提起、テレビでも大きく取り上げられましたね。
都会の現実を知りました。
心が揺さぶられました。
きっと、あえて普段口にすることのない乱暴な言葉にのせ、髪振り乱して文字で叫ぶことが
この怒りやせつなさや憤りを表せる方法だったのでしょうね。
子育てだけではありません。
老人介護も同じです。
私は訪問看護師時代、老人介護の実際を長年見つめましたが、
年老いた親を背負いながら働き続けることの難しさ、生きていかなければならない厳しさも、
定年後~年金受給が始まるまでの狭間の5年間を自力で生き抜かねばならない方々も、
みんな今を必死に生きていることに間違いありません。
うちの旦那様はママさんスタッフ達に必ずこう言います。
「お母さんが働いて、家族が不幸になっちゃいけない。
幸せになるために働かなければ。」と。
いつも身内は後回し。女将として他人様のためばかりに忙しく動き回る母の背中を見つめながら育った、宿の長男坊である彼だからの実感かもしれません。
そしてその母と同じように、自分や家族を後回しにしなければ毎日が進めない、どんどん疲弊していく妻を見て「この民宿的なやり方自体を解決しなければ!」と奮起し挑戦してくれた旦那様のおかげで、
私は今10名を越える常勤スタッフに支えられ、一人で必死にこらえて踏ん張らなくても、彼ら彼女らと一緒に、ベルグをみんなで守れるようになったのです。
そして子供たちと向き合い、夫と向き合い、
女将も普通の働く女性としての当たり前の時間を手に入れたのです。
私を取り巻く環境は、時間の流れと共に大きく変わりました!
そして働き方も大きく変わりました!
それが大事だと思うんです。
子供を育てる、
親を介護する、
ある一定期間特別な環境に身を置くことを覚悟し、
親として、あるいは子として、
精一杯その責務を果たそうとする、人として尊い想いの中にある人に対し、
杓子定規の雇用条件にはまれというのは、あまりに酷ではないかという気がします。。。
働く女性を支える企業側に、その方の「今」に寄り添う柔軟さがもっともっと生まれたらいいのにな、と願います。
うちで働いてくださるスタッフは、みんな我が家の大事な家族。
その大事な家族ひとりひとりの「今」に寄り添うことを大切に。
これからもずっとずっと、守っていきたい私の大切な柱です。。。